天然理心流

『天に象(かた)どり、地に法(のつ)とり』

天然理心流の創始
武術天然理心流は、近藤内蔵之助長裕が寛政頃(1789~1800)に創始した新流派です。(静岡県浜松地方)の出身です。
内蔵之助長裕は、鹿島神道流の流れをくみ古流を基礎において、剣術・柔術・棒術・気合術を含む総合武術の必殺剣を生み出した。常に真剣勝負を想定している為、竹刀稽古に重点を置かなかったと言われます。これは近藤三助方昌・近藤周助邦武・近藤勇昌宜へと引き継がれています。
2代目、近藤三助方昌は武州多摩郡戸吹村(八王子)の名主坂本戸右衛門の長男として安永3年(1774)に生まれ、三助は、戸吹の自宅に道場を構え八王子千人同心を中心に多摩郡・相州津久井県・高座郡・愛甲郡・甲州北都留郡にも出向いて教え、門人は、約1500名いたと言われます。文政2年(1819)46歳で急死。
3代目、天然理心流試宗家 近藤周助邦武は寛政4年(1792)武蔵国多摩郡小山村(町田)名主の嶋崎家に生まれ、文化9年(1812)近藤三助に入門。天保10年(1839)牛込甲良屋敷に天然理心流の道場を開く。また、八王子千人同心のひとりである井上松五郎が佐藤家の庭に日野市本陣に道場設け、そこを近藤周助邦武は出先稽古場とした。井上松五郎は、弟源三郎(後、新選組 六番隊長)とともに天然理心流を修練した。ほどなく、宮川勝五郎(近藤勇)、沖田惣次郎(沖田総司)らも天然理心流を学び、日野市八坂神社に彼らのを連ねた奉納額が木刀とともに残っている。慶応3年(1867)76歳で生涯を閉じる。

4代目、近藤勇昌宜は、天保5年に(1834)宮川久次郎の三男として武州多摩郡上石原村(調布)で生まれた。嘉永元年に近藤周助に入門し万延元年(1860)8月27日府中六所宮(大國魂神社)近藤勇の宗家4代目襲名披露の野試合が行われた。
土方歳三は近藤勇を慕い日野市本陣 天然理心流日野道場で剣術を学ぶ。近藤勇はテロが横行する京都の治安を守り、義を貫いた新選組局長として活躍したが、無念にも慶応4年(1868)35歳で世を去る。

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